ダニエル・K・イノウエって誰?ハワイの国際空港が改名した理由とは

こんばんは!

驚きのニュースが入ってきました。

ハワイのホノルル国際空港がダニエル・K・イノウエ国際空港に変わるそうです。

正式名称「ダニエル・K・イノウエ国際空港(Daniel K. Inouye International Airport (HNL))」

この名称変更は既に認められているそうで、気になる空港コード(HNL)は変わらないそうです。

一瞬このニュースを聞いて、耳を疑ってしまいますがそもそもこのダニエル・K・イノウエって誰でしょう?

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ダニエル・K・イノウエって誰?

恥ずかしながらお名前を始めて聞きましたが調べてみると本当に凄い人でした。

ダニエル・ケン・“ダン”・イノウエDaniel Ken “Dan” Inouye

1924年9月7日2012年12月17日)は、アメリカ合衆国政治家

アメリカ陸軍将校上院議員、上院仮議長

日本名は井上 建(いのうえ けん)。

1963年から50年近くにわたって上院議員に在任していた長老議員であり、上院民主党の重鎮議員の1人であった。2010年6月28日に最古参であったロバート・バード上院議員が死去したことで、上院で最も古参の議員となり、またこれに伴い慣例に沿うかたちで上院仮議長に選出、亡くなるまで同職にあった。

上院仮議長は実質名誉職ではあるものの、大統領継承順位第3位の高位であり、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としては最上位のものとなる。また第二次世界大戦時はアメリカ陸軍に従軍し、数多くの栄誉を受けた。アメリカ陸軍での最終階級陸軍大尉

出典:wikipedia

このプロフィールを見ただけでは、なぜその名前がつけられることになったのかは全く

分かりません。

なぜ名前がつけられたのか?

それを紐解くにはイノウエ氏の生涯を見ていかないといけません。

一言では語れない、まさに壮絶な人生がそこにはありました。

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■1924年

アメリカ合衆国ハワイ準州ホノルルで生まれる。

父母は福岡県からハワイへ移住、イノウエ氏はホノルルに育ち、ハワイ大学マノア校に進学した。

■1941年12月

ハワイ大学在学中に日本軍による真珠湾攻撃が行われ、アメリカが第二次世界大戦に参戦した後、ハワイでの医療支援活動に志願。その後アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、アメリカ陸軍日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦う

■1945年4月

イタリアにおけるドイツ国防軍との戦いにおいて、ドイツ軍兵士の使用したグレネードランチャーによって右腕を負傷し切断、1年8ヶ月に亘って陸軍病院に入院したものの、多くの部隊員とともに数々の勲章を授与され帰国し、日系アメリカ人社会だけでなくアメリカ陸軍から英雄としてたたえられる。

1947年

陸軍大尉として名誉除隊した。右腕を失ったことにより、当初目指していた医学の道をあきらめた。ハワイ大学に復学して政治学を専攻。

■1950年

Bachelor of Arts in political scienceを得て同大学を卒業した。卒業後、

ジョージ・ワシントン大学の法科大学院に進学し、1953年J.D.を授与された。

1954年に同じく退役軍人のエルトン・サカモト、サカエ・タカハシらとCentral Pacific Bank

を設立した。

■1954年

その後は政界に進出し、準州であったハワイ議会の議員に当選した。

■1959年

民主党からハワイ州選出の連邦下院議員に立候補し当選し、アメリカ初の日系人議員となる。

■1963年

上院議員となり戦時補償法の制定などに尽力する傍ら、

1973年にはウォータゲート事件1987年にはイラン・コントラ事件の上院調査特別委

委員長となり注目を浴びる。

アメリカ軍の予算に大きな権限を持つ上院歳出委員会国防小委員会の民主党長老議員

として、エリック・シンセキ大将の陸軍参謀総長就任に尽力している。

イノウエ氏はホノルル国際空港の発展と整備のための予算確保にも尽力しました。

2000年6月21日に、陸軍殊勲十字章ブロンズ・スター章英語版の受賞理由が

見直され、軍人に贈られる最高位の勲章である名誉勲章を受章。

■2007年11月、フランス政府からレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を授与された。

2012年12月17日、88歳にて死去。

死去に際して、オバマ大統領「真の英雄を失った」

「彼が示した勇気は万人の尊敬を集めた」との声明を発表し、

パネッタ国防長官クリントン国務長官、上下両院の軍事委員長らが相次いで功績を称えた

同月20日、遺体を納めた棺がアメリカ合衆国議会議事堂中央にある大広間に安置され、

追悼式典が開かれた。大広間に遺体が安置されるのは、エイブラハム・リンカーン

ジョン・F・ケネディなど一部大統領や、ごく少数の議員に限られており

イノウエ議員は全体でも32人目、かつアジア系の人物としては初めて大広間に遺体が

安置された人物ととなった。

2013年5月24日アメリカ海軍の新造アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の艦名が

ダニエル・イノウエ(DDG-118)」に決定したと発表された

同年8月大統領自由勲章追贈。

名誉勲章の感状には下記のように記載されているそうです。

ダニエル・K・イノウエ少尉は1945年4月21日、イタリアのサン・テレンツォ近郊における作戦中の際立って英雄的な行動によって、その名を残すこととなった。

〜中略〜

イノウエ少尉は自らの身の安全を完全に度外視し、足場の悪い斜面を最も近くにある機関銃から5ヤード以内の位置まで這い上がり、2個の手榴弾を投擲して銃座を破壊した。

〜中略〜

イノウエ少尉の勇敢かつ積極的な戦術と不屈のリーダーシップによって、彼の小隊は激しい抵抗の中でも前進することができ、稜線の占領に成功した。

イノウエ少尉の類まれな英雄的行為と任務への忠誠は、軍の最も崇高な伝統に沿うものであり、また、彼自身やその部隊、ひいてはアメリカ陸軍への大きな栄誉をもたらすものであった。

このようにアメリカ陸軍やアメリカ本国にとっても非常に大きな功績を残しています。

藤村修官房長官「在米日系人社会の結束を強化するなど、日系関係の発展に尽力され、

その功績は言葉では言い尽くせない。」と弔意を表しています。

亡くなってもなお、自分の名前が空港名や艦隊名になることすら、

一体だれが予想できたでしょうか?

と、このようにイノウエ氏はホノルル国際空港の発展と整備のための予算確保にも尽力し、

陸軍やアメリカ国内にとってもたくさんの貢献をしてくれた人物でした。

イノウエ氏の名前が空港の名前となるのも、この経歴を見ると必然の事だと思えても

仕方ありません。

今度ぜひ行ける機会があれば、行ってみたいなと思います。